江戸時代に日本も帰ってみない?

釣りバカ親父です。
趣味の釣りを継続するために、ガチで投資を考えています。

相変わらず腰の調子がよくありません。
昨日のように、クラッチを踏むたびに体が上下することには、
なら無くなりましたけどね。

とにかく仕事終えて、暫くは安静にするしか無さそう・・・。

今の私は現在の日本も一度、江戸時代にまで戻った方がいいん
じゃない?、ってな考え方をしています。

日本は世界でも唯一の「和の国」です。
聖徳太子ですら、「和を以って尊しと為す」っていっている位
ですからね。
この当時には、既に「和の心」が日本国民に存在していたもの
と考えられます。

では「和の心」の根本は何なんだろう?

宗教的ではない「自然崇拝」にあるんじゃないのかな。
でなければ、「八百万の神」なんて言葉は生まれませんから。
つまり自然そのものに感謝の念を抱くものであり、自然は全て
の国民にあくまで平等、ってな考え方。
言い換えれば、「水平的な平等」を意味します。

そこに中国伝来の儒教が、江戸時代に花開きました。

ただし儒教の基本的な考え方は、「垂直的に明確な区別」なん
ですね。
端的なのが、身分制度による上下関係になるのかな。
この考え方には、「和の心」を持つ日本人は理解出来ません。
ここで日本人は、和と儒教の考えを融合させてしまいました。
それこそが、年齢差による序列関係(今で言う、年功序列って
いう体系)なんです。
もちろん、士農工商という身分制度は残りましたが、江戸時代
の武士って、本当に貧乏だったんです。
しかし、その武士の精神性により、支配をして来ました。
そして、それを国民も受け入れて来たんです。

では何故この武士の精神性を、国民が受け入れたのでしょう?

私は、当時の国民一人一人が修行者だったんじゃないのかな、
って考えています。
武士の精神性は主に勉学と武道などの修行によるものです。
国民は、自分の仕事に自信と誇りを持つべく、修行します。
そしてそのためには、先人達から学びます。
つまり、物の見事にお互いが一致しちゃうんです。

このように考えると、江戸時代って修行真っ盛りの状態なん
です。これでは嫌でも「春真っ盛り」になりますよね。

しかし現在の日本企業は「グローバル化真っ盛り」で、全て
を標準化・平準化・見える化しようとしています。
この環境では、個人の能力を上げるための修行が存在しない
ことは明らか。

現在はまだ職人が日本に存在していますが、いずれ消えてい
く日も近いんでしょうね。

逆に言うと、仕事を修行させた方が、間違い無く社員の能力
も上昇するんですけど。

標準化・平準化・見える化、これが出来ないからこそ個人の
能力なんであり、匠の技でもあるんです。

ちなみに明治時代は、儒教の考え方に特化した時代だと、私
は考えています。
だって江戸時代まで「天皇は権威、幕府は権力」だった構図
を、天皇集権に変えてしまったんですから。
そして諸外国の植民地にはなりたくないから、近代化を推進
しちゃったんです。
権威と権力を集中すればするほど、腐敗が発生するもの。
これだけは、どの国も同じなんですね。

では何故、江戸幕府は大政奉還をしたんでしょうか?

正直なところ分かりませんが、儒教的な考えを持つ武士が、
かなり増えたからなのではないんでしょうか?
例えばですけど、「身分は俺の方が上なのに、身分が下であ
る町人の方が、裕福やんけ~」ってな、どうでも良いことが
発端かもしれません。

儒教だけを学び、そこに和の心が無ければ、このような考え
方にもなるのかもしれません。

日本国民も日本企業も今一度、「和の心」を取り戻し、取り
戻した上で世界に「和の心」を植え付けていけば、間違い無
く日本は世界のリーダーになれると思うんですけどね~。

ただ日本国は日本国民により、ここまで反映して来ました。
そこには移民が入る余地なんてありません。

逆に、中国は国民が多過ぎて困っているんですよ!

移民政策なんか実施した日にゃ、ここぞとばかりに何百万人
という中国人が、日本になだれ込んで来ます。

そしてこれらの中国人が、永住権を持てばどうなりますか?
中国が日本の土地を買収し続ければどうなりますか?
中国が日本の企業を買収すればどうなりますか?
参政権を与えればどうなりますか?

中国って本当に地道に長期的なスパンで、自国に有利にする
ように、周到に仕掛けてきます。

日本人なら日本国のことを、もっともっと考えて頂きたいで
すね。

●●●追伸●●●
中国伝来の儒教と仏教は、かなり日本に広がりました。
しかし道教だけは、日本に広まっているとは言えない状況が
あります。
そもそも老子は、道と無に関する哲学を研究していたんです
けど、いつのまにやら神仙思想みたいな神々の始祖になって
いるんですね(違うのかな?)。
自然そのものが「神的な存在」と考える日本人には、全くで
すが理解出来ないんじゃなかったのかな?

このように考えると、道教が江戸時代に普及しなかった理由
も、何と無く納得出来るんですけどね。

後ね、中国共産党も自国が生んだ考えを、全く理解していま
せん。
孔子も泣いているかも知れませんよ。

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