「貧しい」って思うのは、自身の「心」の問題なんじゃないの?

釣りバカ親父です。
趣味の釣りを継続するために、ガチで投資を考えています。

週末3連休は釣り仲間と、その家族たちと海釣りに2泊3日で
行って来ました。
小さい漁師民宿だったんですが、6家族も集まると大賑わい!
っていうか、貸切状態になっていました。
釣り仲間たちは船釣りに9出掛け、私は彼らの家族たちと、
陸っぱりです。
最もリスクが小さい砂浜で・・・。
奥様方は世間話に盛り上がってるし、こっちはこっちで、
キスが面白いように釣れるもんですから、キスは外すは、
ゴカイは付けるは、仕掛けはキャストするは、てんてこ舞い
の状況。
しかも釣ったキスのワタだけ取り除いて、油でカリッカリに
揚げたら、子供たちが爆食いするし・・・。
ってな訳で、ご主人も含めて飲んでいたんですが、ついつい
私がポロリ、っと聞いてしまったんです。
「漁師の仕事って、儲かるんですか?」
ご主人の回答は、
「年間300万円だったときもあれば、年間3000万円だったと
きもある。儲かる儲からんの前に、家族を養っていけるかど
うか、だと思う」
この文言は、正直に言ってかなり「グサッ!」って来ました。
だってね、
「家族を養う」=「家族に対する責任」
だと思うからなんです。
つまり「儲からん」って言いながらも、最低限、家族を養っ
って来た、ってことでしょ。

「儲かる」「儲からん」ってのは、ただ単に最低限の家族の
生活を「保障」した上で、初めて成り立つ「言葉」なんじゃ
ないのかな。
このように妄想すると、「貧しい」って言葉は皆様方の「心」
に拠るものが、殆どなんじゃないんですかね。

本当に今日明日にでも生命維持が出来ないような状況を、
「貧窮」
って言うんじゃないの。
ギリギリ何とか生命維持だけが出来る状況が続くことを、
「貧困」
って言うんじゃないの。
生命維持よりも、少しだけでも良くなるかもしれない状況を
「貧乏」
って言うんじゃないのかな。

何故このような妄想になったかって言いますと、ご主人が
「300万円のときは300万円の生活、3000万円のときは3000
万円の生活をして来た」
って仰ったからなんです。
本当に「人間」だと思いませんか?

このように妄想すると、自分が「貧しい」って思うのって
自身の「心」によるものだ、ってことになります。
この最大の障壁こそ
「自己中心的主義」
だと、私なんかは妄想しています。
自己中心的に物事を見るから、自身の生活とのギャップを
感じてしまい、「貧しい」とか「裕福」なんて言葉が感情と
して、出て来てるんじゃないんでしょうかね。

よく企業間同士で「win-win」何て言ってますけど、人間同士
においては
「happy-happy」
が、より重要な気がします。

ん~・・・。
これ以上書くと偽者スピリチュアリストに変貌しそうなので、
ここで思考停止を発動します。

●●●追伸●●●
ここで「貧しい」を心の問題として妄想したのは、んじゃ、
「年収どれだけ以下なら貧しいの?」
って逆に問いかけたかったからなんです。
貧しいからって、家族の生命維持に何らかの問題が生じてい
るんでしょうか?
「貧しい」って言う人ほど、グローバリズムに毒されている
ように思えてなりません。

だってね、グローバリストって金銭に「価値」を求めるじゃ
ないですか。
「人間」は「心」にこそ「価値」を求めるべきなんじゃない
のかな?

典型的な例として、お隣の国家はグローーバリズムを利用し
ながら、「心」は「国家」に劣る、っとでも言いたいかのよ
うに、弾圧しまくってるじゃないですか。

そんな国家に「人間」は存在するんでしょうかね?

それとも日本人から見た「人間論」みたいになっちゃうん
でしょうかね。

でもね、
「自分が幸せだから、相手を幸せに出来る」
「相手を幸せに出来るからこそ、自分も幸せになれる」

ここに「自己中心的」を当て嵌めちゃうと、全てが
「「自分のおかげ」
って考え方になっちゃうんです。

何か違和感を感じませんか?


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